恩師

道を照らしてくれた先生

道を照らしてくれた先生

悩んでいた私の背中を、力強く押してくれた。先生の言葉が今も心のお守りになっている。

迷いの中での出会い

高校三年生の夏、私は深い迷路の中にいた。進路希望調査票の白紙の欄を前に、ペンを握る手が震えていた。周囲の友人が次々と志望校や将来の夢を決めていく中で、私だけが取り残されていた。「やりたいこと」が何なのか分からない。「自分にできること」があるのかも分からない。焦りだけが募り、息苦しさを感じていた。

そんな時、放課後の図書室で声をかけてくれたのが、現代文を担当していた田中先生だった。先生はいつも穏やかで、決して声を荒らげたりしない人だった。しかし、その眼差しは生徒一人ひとりの本質を見抜くような鋭さを持っていた。

「どうした、難しい顔をして」

先生は私の前の席に座り、持っていた缶コーヒーを一口飲んだ。私は誰にも言えなかった不安を、堰(せき)を切ったように話し始めた。将来が見えないこと、自分には何の才能もないと思っていること、周りと比べて劣等感を感じていること。

先生は黙って聞いていた。相槌を打つこともなく、ただ静かに私の言葉を受け止めてくれた。すべてを吐き出し終えた時、私は少しだけ軽くなっていたが、それでも不安は消えていなかった。

心のお守りとなった言葉

先生はゆっくりと口を開いた。

「迷うというのはね、真剣に生きようとしている証拠だよ。どうでもいいと思っている奴は、そもそも迷ったりしない」

その言葉に、私ははっと顔を上げた。

「それにね、才能なんてものは、最初からあるものじゃない。何かに夢中になって、時間を忘れて没頭した先に、結果として現れるものだ。だから、まずは『できるかできないか』で考えるのはやめなさい。『心が躍るかどうか』、それだけで選びなさい」

「心が躍るかどうか……」

「そう。正解なんてどこにもない。自分が選んだ道を、正解にしていく力がお前にはあるはずだ。私はそう信じているよ」

先生はそう言って、私の肩をポンと一つ叩き、図書室を出て行った。残された私は、その言葉を何度も心の中で反芻した。心が躍る方へ。単純で、しかし核心を突いたその指針は、分厚い雲を突き破る一筋の光のように、私の視界を明るく照らしてくれた。

選んだ道を正解にするために

その日を境に、私の世界は変わった。私は昔から好きだった「書くこと」を学ぶために、文学部への進学を決めた。周囲からは「就職に不利だ」とか「現実を見ろ」と言われることもあった。しかし、先生の言葉が私を支えてくれた。「心が躍る方へ進む」。その信念があれば、どんな雑音も気にならなかった。

大学生活は充実していた。もちろん、楽しいことばかりではなかった。創作の苦しみにのた打ち回る夜もあったし、自分の才能の限界に打ちひしがれる日もあった。けれど、不思議と後悔はなかった。自分で選んだ道だからこそ、すべての経験を糧に変えることができたのだ。

社会人になり、文章を書く仕事に就いた今でも、壁にぶつかるたびに先生の言葉を思い出す。「自分が選んだ道を、正解にしていく」。それは、過去の選択を肯定し、未来を切り拓くための強力なマントラ(呪文)だ。

恩送りという形

先日、久しぶりに母校を訪ねた。田中先生は定年退職されており、もうそこにはいなかった。しかし、職員室の前の廊下を歩いていると、先生と交わしたあの日の会話が鮮やかに蘇ってきた。

先生は今、どこで何をされているのだろう。直接お礼を伝える機会はもうないかもしれない。けれど、先生が私にくれた「光」は、私の心の中で燃え続けている。

私が今できることは、先生から受け取ったバトンを、次の世代へと渡していくことだろう。仕事を通じて、あるいは日々の生活の中で、誰かが迷い、立ち止まっている時に、そっと背中を押せるような存在でありたい。「大丈夫、君ならできるよ」と、心からの信頼を込めて伝えられる大人でありたい。

それが、私の道を照らしてくれた先生への、一番の恩返し(恩送り)になると信じている。

先生、ありがとうございました。私は今、自分の足でしっかりと歩いています。