彼との出会いがなければ、知らなかった世界。共に笑い、語り合った日々は人生の宝物だ。
バンコクの安宿での出会い
大学二年の夏休み。私はバックパック一つを背負って、初めての一人旅に出た。行き先はタイのバンコク。熱気と湿気、そしてスパイスの匂いが混じり合うカオスな街。期待よりも不安の方が大きかった私が出会ったのが、彼、ケンジだった。
カオサン通りの安宿のドミトリー。二段ベッドの上段で荷物を整理していると、下段から「日本人?」と声をかけられた。屈託のない笑顔と、日焼けした肌。それがケンジだった。彼はすでに半年以上も世界を放浪しているという「旅のベテラン」だった。
「腹減ってない? 屋台メシ、行こうぜ」
出会って五分もしないうちに、私たちは街へと繰り出した。彼の行動力とコミュニケーション能力はずば抜けていた。現地の言葉などほとんど話せないはずなのに、身振り手振りと笑顔だけで、屋台のおばちゃんと仲良くなり、サービスのおかずまでもらってしまう。私はただ、その後ろをついて回るだけで精一杯だった。
トラブルと笑い声
翌日、私たちは一緒にアユタヤ遺跡へ行くことになった。しかし、旅にトラブルはつきものだ。乗るはずだったバスが故障で動かなくなり、炎天下の道端で数時間も立ち往生することになった。
普通ならイライラしたり、落ち込んだりする場面だ。しかし、ケンジは違った。
「やべえなこれ! まるで映画のワンシーンみたいじゃん」
彼はそう言って笑い出し、近くにいた地元の子どもたちとサッカーを始めたのだ。その姿を見て、私の肩の力がふっと抜けた。「計画通りにいかないこと」を楽しむ。それが旅の醍醐味なのだと、彼に教えられた気がした。
結局、私たちはヒッチハイクでトラックの荷台に乗せてもらい、風に吹かれながら遺跡へと向かった。トラックの荷台から見た夕焼けの美しさは、今でも忘れられない。もしバスが順調に動いていたら、あの景色には出会えなかっただろう。
深夜の語り合い
夜になると、宿の共有スペースでビールを飲みながら、毎晩のように語り合った。将来の夢、恋愛の話、日本の社会について、そして「生きる」ということについて。
ケンジの価値観は、私がそれまで信じてきたものとは全く異なっていた。良い大学を出て、良い会社に入り、安定した生活を送る。それが幸せの正解だと信じていた私に対し、彼は言った。
「正解なんて自分で作ればいいじゃん。俺は、死ぬ時に『あー、面白い人生だった』って笑って死ねれば、それが勝ち組だと思うけどな」
その言葉は、私の凝り固まった価値観にハンマーを打ち込んだ。レールの上を走ることだけが人生じゃない。道なき道を歩く楽しさもあるのだと。
彼が見てきた世界の広さ、多様な生き方をしている人々の話を聞くたびに、私の世界はどんどん広がっていった。地図上の国境線が消え、世界はもっと自由で、可能性に満ちている場所なのだと思えるようになった。
それぞれの道へ
一週間後、私たちは別々の道へと進んだ。私は日本へ帰国し、彼はインドへと向かった。
「また日本のどこかで会おうぜ」
軽い調子で手を振って去っていく彼の背中を見送りながら、私は出会った時とは違う自分になっているのを感じていた。不安で縮こまっていた心は、冒険心と好奇心で満たされていた。
あれから数年。私たちはそれぞれの道を歩んでいる。彼は今、地方で農業をしながらゲストハウスを経営しているらしい。私は都市で会社員として働いている。生き方は違うけれど、SNSで流れてくる彼の投稿を見るたびに、あの夏の熱気と、彼の言葉を思い出す。
彼との出会いがなければ、私は今の自分を好きになれていなかったかもしれない。失敗を恐れず挑戦すること、違いを受け入れること、そして人生を楽しむこと。それらすべてを、彼という存在が教えてくれた。
世界の扉を開いてくれた友。彼と過ごしたあの日々は、私の人生における紛れもない宝物だ。いつかまた、あの頃のようにビールを片手に、お互いの冒険譚(ぼうけんたん)を語り合える日を楽しみにしている。